2007年01月11日
難波パークスは元米蔵だった
難波パークスは今年4月19日、コンセプトに
「なんば"NEXT"スタンダードライフ」をかかげ
30歳代の男女をターゲットに難波パークス第2期がオープン。
シネコンをはじめ教会を備えた大型レストラン、フィットネス×岩盤浴、
トイザラスなど「衣・食・住」に関わった幅広いお店を出店予定。
さて、その難波パークスの入口付近に「難波御蔵・難波新川跡」の碑があります。
その昔、難波パークスのある辺りには江戸時代に建設された大規模な米蔵と
米蔵から道頓堀を結ぶ運河があったそうです。
●難波御蔵
江戸時代、幕府への年貢米は江戸にいくものと、大坂の蔵に蓄えられるものの
2種類だった。江戸時代中期西日本一帯を中心にイナゴによる大きな被害が
あったこと(1733年 享保飢饉)がきっかけで大坂に幕府直轄の米蔵が設置された。
その後、天王寺御蔵または高津御蔵が難波御蔵に統合され、13,000坪あったという。
●難波新川
難波新川または難波入堀川ともいい、当時は交通の手段として
水路が発展いたので、難波御蔵と建設と共に開削された。
米蔵までは約800メートル、幅約14メートルあり、
運河の端には四方36メートルの船着き場を設けた。
時代を経て、米倉は大阪球場へ、そしてなんばパークスへと姿を変え、
役割を終えた難波新川は昭和に埋め立てられ。現在、川の跡には
阪神高速環状線が走っている。